借金まみれの地獄から這い上がった著名人の人生を詳しく

お金を「好きなものに使う」「夢のために使う」素晴らしいことです。しかし、使い方が少し違っただけでギャンブルや借金で人生が狂ってしまう場合もあります。

今回は、3人の借金地獄から這い上がった著名人を紹介します。よくテレビで拝見する方に絞って紹介します。

皆さん、どのようにして、どんな心持ちで完済したのでしょうか?

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1.林修(東進ハイスクール現代文講師)の借金地獄…3年間で株やギャンブルで1800万の借金!

1965年生まれの林先生は、大手酒造メーカーの副社長まで務めた父親を持ち、祖父はる史画家・林雲鳳。いわゆる「お金持ち」の家庭に育ち、幼稚園児だったころは運転手付きの高級車でお出迎えされていたほどのお坊ちゃんでした。

小学生時代から神童ぶりを発揮し、受験勉強せずに名古屋トップの進学校・東海中学校に入学してしまうほど。中学生で大学レベルの勉強をするほど頭が良く、高校時代には全国模試で1位を獲得。そのまま東京大学の法学部に入学します。

学生時代は家庭教師のアルバイトに明け暮れ、大学生にして月収50万円を稼ぎ出します。このころから「勉強を教える」という才能があったのでしょう。順風満帆だった林先生の人生ですが、社会に出たとたんに崩壊してしまいます。

卒業後、東大出身という学歴を引っ提げて日本長期信用銀行(長銀)に就職した林先生ですが、わずか5カ月後に退社してしまいます。驚くべき行動ですが、希望する部署に配属されなかったことで意欲が下がってしまったようです。

また、当時を振り返るインタビューで林先生は「入行してすぐ、会社の考える右肩上がりの図がどうなっていくかずっとシミュレーションしていた。『ここは潰れる』と最初の1週間で確信した。「それがわかると、もうそこにいる意味はなかった」とも語っています。

実際に長銀は1998年に経営破綻。その読みは正しかったのですが、無職状態になった林先生の生活も破綻していきます。頭脳を武器に投資顧問会社やIT関連の会社を起業するも、ことごとく失敗。

さらに株取引でも大失敗し、競馬などのギャンブルにも手を出して大損してしまう。これを補填するために親族からお金を借り、その借金総額は1800万円にまでふくれ上がりました。

3年間ほど借金ばかり増える返済地獄を送っていた林先生。その当時については「記憶がない」と語っています。エリートが初めて経験した「挫折」に大きなショックを受けていたのでしょう。

学生時代に「勉強を教える」という才能が自分にあると知っていた林先生は、借金返済のために一念発起して塾講師として働くことを決意。当初は「同級生たちは官僚や一流企業の社員になっているのに…」と、講師という仕事にコンプレックスを感じていたといいます。

しかし、自分なりにやりがいを見つけて仕事に励んでいると指導力の高さが認められるようになり、92年に「東進ハイスクール」の予備校講師に転職。予備校講師は1年ごとの契約更新制で、結果をださないと契約を切られてしまう厳しい世界。指導力の高さだけではなく、生徒を引き付ける授業の面白さも求められます。

「東大特進」クラスの担当に抜擢された林先生は、当初は生徒集めに苦戦していましたが、歴史上の偉人の名言などを授業に盛り込むことで人気を獲得。生徒は短期間で数倍になり、名物講師になりました。

ドン底から這いあがってきた林先生に更なる幸運が舞い込みます。授業中に偶然発した「いつやるの?今でしょ!」という言葉が東進ハイスクールのテレビコマーシャルに使われ、それをきっかけに芸能界で大ブレイクしました。

当初は「文化人枠」でテレビ出演のギャラは安かったものの、程なく大手芸能プロ「ナベプロ」に所属したことで収入は大幅増。人気塾講師としての年収だけで推定3000万円ありましたが、それにテレビ番組やCM出演のギャラが加わって「軽く1億円を超える」といわれる年収になりました。

奥さんも現役の産婦人科医で推定年収は1200万円ほど。当然、1800万円の借金は全て返し終わっているでしょう。

林先生に様々な才能があったことが成功の大きな要因でしょうが、借金地獄に陥ってしまった時に腐ってしまっていたら現在の地位はありませんでした。

あきらめずに自分にできることを捜し、悩む生徒たちに挫折を知っているからこその視点で的確なアドバイスをしてきた結果、幸運を引き寄せたのでしょう。

2.坂上忍の借金地獄…1億の借金を残して逃げた父親

1970年に3歳で劇団に入った坂上さんは、類まれな子役としての才能を開花。1972年に『下町かあさん』でテレビドラマデビューし、子役ブームに乗ってその後も数々の名ドラマに出演し、超売れっ子の子役となりました。

しかし、その順調さとは裏腹に家庭環境が悪化。副業の不動産が成功したことをきっかけに父親が勤めていた新聞社を退社し、出版社を立ち上げるも失敗。

坂上さんが15歳の時に両親は離婚し、家族はバラバラに。父親は事業失敗とギャンブルで負った1億円もの借金を残して姿を消してしまいます。

その借金を背負うことになった坂上さんはちやほやされていた子役時代から一転、借金取りに追われる生活に。学業との両立は無理だと判断した坂上さんは高校を中退し、借金返済のために芸能界での活動に専念。

母親はスナックや家政婦、スーパーの店員と三つの仕事を掛け持ちし、坂上さんの兄も大学をやめて働きました。 父親が消えてから約10年後の坂上さんが25歳ごろの時、一家が身を粉にして働いたおかげで借金を完済したそうです。

そんな経緯があっても「僕はファザコン」と自称するほど父親への愛情が強かった坂上さん。自身も「ギャンブル狂」という性格も受け継いでいます。

しかし、のちに逃げた父親から「小説を出すからサイン会に来て欲しい」と呼び出され、複雑な思いで出向くも謝罪の言葉が一切なかったために父親と決別してしまいます。

2010年に父親は72歳で亡くなりましたが、坂上さんは死に目に立ち会わず、遺体と対面することも拒否しました。その理由について坂上さんは「死に目に合わなかったのは、大好きだった親父が大嫌いになって、恨みに思うことを利用してがんばってこられた部分もあったから」と述懐しています。

そのまま「恨み」を持っていようと思っていた坂上さんですが、2013年に墓参りをしたことで父親への気持ちが和らいだといいます。そのころから坂上さんの芸風が世間にウケるようになりましたが、これは単なる偶然とはいえないのではないでしょうか。

父親との「和解」後は毒舌の中にも愛情が垣間見えるようになり、視聴者に受け入れられやすくなったように感じられます。 父親が残した莫大な借金を背負わされたことは不運ですが、それは坂上さんにとって大きな成長とブレイクのきっかけにつながった人生の転機ともいえるのかもしれません。

3.阿部寛の借金地獄…人気モデルから転落、パチンコ生活へ

阿部さんは1964年、神奈川県に三人兄弟の末っ子として生まれます。学校は中央大学理工学部電気工学科。

大学在学中にお姉さんの勧めで「集英社第三回ノンノボーイフレンド大賞」に応募、みごと優勝をはたし、芸能界入りします。それから、阿部さんは一躍日本のトップモデルとして躍り出ることになります。

その後「メンズノンノ」の専属モデルとして大ブレイク。ファンレターはひと月に4千通という人気ぶり。「メンズノンノ」の創刊号から43号まで表紙を務め、なんと「同じ雑誌の表紙を世界で最も連続して飾った人物」として、ギネスブックにも認定されました。

そんなモデルとして大人気だった1980年代、阿部さんは知人から紹介されたマンション投資に手を出しました。当時はバブル景気で「不動産は絶対に儲かる」という風潮があり、阿部さんは借金をして不動産投資にのめり込みます。

ところが、すぐにバブルが崩壊。20代という若さで数億円の借金を背負ってしまいます。 仕事が順調なら何とかなったかもしれませんが、折り悪くモデルとしての人気も低迷。阿部さんはモデルから俳優へと転身し、再起を図ります。

1987年に「はいからさんが通る」という映画でファンだった南野陽子さんと共演、俳優デビューしました。1988年にはなぜかアイドルとしてアルバム「ABE」まで出していますが、コレ一枚で歌手活動は終了。

後は俳優業に専念することになります。もちろん、芸能界はそんなに甘くはありません。阿部さんはその後、芸能界の厳しい現実を突きつけられることになります。

「モデル出身」という肩書と彫りの深い顔立ちから、本人曰く「フェラーリで乗りつけるような」二枚目の役しかもらえず、かといって主演を張るほどの人気がないため使いどころの難しい存在と言われた阿部さん。

さらに阿部さんは身長189センチ、体重75kgという大男。長身がネックとなり「相手役の女優とのバランスが取れない」という理由で芸能界からのオファーは次第に途絶えてしまいます。

さて、数億の借金を返済するどころか、日々の生活費すら事欠くようになった阿部さんはパチンコ依存症になり、ついに芸能人でありながら「パチプロ生活」に突入。こうして「生活のために」目立つ身体を小さくしながらパチンコを打ち続ける日々がズルズルと3年も続いてしまいます。

自堕落ぶりが極まっていた阿部さんですが、バラエティー番組『あの人は今!?』で「過去の人」として取り上げられたことで一念発起。これをきっかけに過去の栄光を完全に捨て去り、名前のない端役やイロモノキャラなど何でも貪欲に挑戦して演技力を磨こうとします。

敬愛していた高倉健さん出演のドラマに、名前すらない端役でいいから出させてくれと自分から願い出て演技の勉強をしたというエピソードも。

俳優としての転機となったのは、1993年のつかこうへい作「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」という舞台への出演です。この舞台で阿部さんは「元棒高跳び選手でチャイナ・ドレスを着ているゲイ寄りバイセクシュアルの刑事部長」という難しい役どころを体当たりで見事に演じ、役者として一皮むけます。

なにしろこの舞台では、阿部さん演じるキャラクターがクライマックスになると舞台を降りて、客席の男性と濃厚なキスシーンを繰り広げるという独創的な演出。

とても「モデル上がり」なだけの役者にできる役じゃありません。阿部さん自身も始めは抵抗があったそうですが、「モデル上がり」の固定イメージを払拭したいという一心で夢中で演じたと後に語っています。

実は当初、阿部さんの起用には反対があったそうですが、阿部さんの心意気を気に入ったつかさんが出演を強行。結果は大成功に終わります。

1995年にはNHKの大河ドラマ「八代将軍吉宗」に老中役で出演。これを機に時代劇への出演も増えていきます。パチプロ時代に始めたという古武術の経験も役立っているようで、「着物を着るだけで気持ちが引き締まる」と阿部さんは語っています。

こうした努力が実り、阿部さんは「ただのモデル上がり俳優じゃない」と周囲に認められ始め、徐々に「実力のある個性派俳優」として脇役が大半ながら出演作が増加していきました。

俳優としての再起をつかんだ矢先の2000年、阿部さんは自身最大のヒット作となったTVドラマ「TRICK」にめぐり合います。 同作で演じた「巨根の物理学教授」の上田次郎という変わり者の役柄は、かつての「二枚目専門」の阿部さんだったらピンとこなかったでしょう。

しかし、不遇時代に演技の幅を広げたことで最高のハマリ役に昇華、お茶の間の話題となります。「貧乳の自称天才マジシャン」を演じた仲間由紀恵さんとの掛け合いは「本当に付き合っているのでは?」という熱愛のウワサが流れるほど軽妙で素晴らしく、モデル時代の活躍を知らない世代にもファンを増やしました。

ちなみに、ドラマの中でネタとしてモデル時代の写真をスタッフがこっそり用意。「モデル上がり」を逆手に取った演出に、阿部さんは「そう来るか!と思った」とコメントしています。この「TRICK」は連続ドラマ、スペシャルドラマ、映画と、断続的ではありますがなんと14年もの間続くことになりました。

これで運が向いてきた阿部さんは、2003年に13年ぶりとなる主演ドラマ「最後の弁護人」で主役有働弁護士を演じ、人気を博します。

その後も検事役で起用されたドラマ「HERO」や主演を務めたドラマ「ドラゴン桜」、役柄が阿部さんそのものとも言われる「結婚できない男」などヒット作に次々出演。一躍人気実力派俳優として「再ブレイク」状態になります。

2007年に公開の映画「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」のPR会見で「最近、やっと借金を返し終わった」と告白し、約20年かけてバブル時代の数億円の借金を完済したことを明らかにしました。

20年…。額の大きさを考えれば仕方ないのでしょうが、上に書いた人気ドラマに出演している間も借金の返済を続けていたことになります。完済した時にはどれほどホッとしたことでしょう。

それ以降も映画「テルマエ・ロマエ」など当たり役に恵まれ、今では年収1~2億円といわれています。この「テルマエ・ロマエ」では濃い顔を生かして主役のローマ人建築技師ルシウスを演じ、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞しました。かつての「借金を抱えたモデル俳優」から、ついに日本のトップ俳優の座まで登りつめたのです。

実は恥ずかしがり屋で、寡黙な性格だという阿部さん。デビュー当初は「エリート」扱いだったこともあって、壁にぶつかって腐ってしまっていた阿部さんですが、プライドと恥を捨ててガムシャラになったことで復活できたといえるでしょう。

人間の底力というものはどん底になって始めて発揮されるものなのかもしれませんね。過去の栄光にすがっても何もならない…とは分かっていても、なかなか出来ることではありませんが、それが借金地獄から生還する最大のカギだったといえるでしょう

実は私も借金まみれから、一気に這い上がりました。今思うと運が良かったとしか言えませんが、確実に役立ったスキルは解ります。

・逃げないこと
・あきらめないこと
・好奇心があること
・人を喜ばせるのが好きなこと

これらが成功の元になったものです。これによって人脈ができ、会社の作り方や商品の作り方、そしてなによりも師匠ができました。

特殊な能力があったわけではありません。むしろ落ちこぼれでしたから、これを読んでいるあなたのほうが比べものにならないくらい優秀だと思います。

歯車がひとつあえば人生は好転します。その歯車があうまで、ただしい努力を続ければよいのです。ただしい努力は成功者から聞けばよいです。

 


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